新設:2012-10-28
更新:2022-11-03
原詩 ウーラント Ludwig Uhland
(ルートヴィヒ・ウーラント)
1787~1862年 ドイツの叙情詩人、文学者。
ライン川支流のネッカー川が流れるチュービンゲンに生まれ、チュービンゲン大学で学ぶ。、1810年にパリ出て弁護士を開業したが、1815年刊行の「詩集」によって詩人としての地歩をかため、後期ロマン派を継ぐシュヴァーベン詩派の代表的詩人となった。
ウーラントの詩でドイツ民謡となったものに「よき戦友(Der gute Kamerad、1809)」、「羊飼いの日曜日の歌(Schaefers Sonntagslied)」 などがある。
ウーラントの作品のうち、シューベルトが作曲した作品「春の信仰/春の想い(Fruehlingsglaube、1812)」は日本でよく知られている。
1819年以後は政界に入り、憲法闘争で人民のために戦い、1848年フランクフルト国民会議で活躍した。1829~33年まではチュービンゲン大学で文学と言語学の教授職にあった。晩年は文学研究に没頭し、論文「ヴァルター・フォン・デル・フォーゲルヴァイデ(1822)」や「古代高地および低地ドイツ民謡(1844~1845)」などのほか、「詩歌と伝説の歴史のための書」があるという。
(本項は、1972年、平凡社刊「世界大百科事典3」を参照させていただきました。)
明治29年(1896)~昭和44(1969)
京都府生まれ、大正11年(1922)東大経済学部卒、昭和23年(1948)中央大学教授となり、昭和42年(1967)定年退職後、駒澤大学教授を務めた。専門は統計学。著書に「統計図表の見方描き方」、「人生の渡し場」、「なつかしい歌の物語」などがある。
昭和31年(1956)9月13日付朝日新聞(東京版)「声」欄に「老来五十年 まぶたの詩」と題した投書を行い、大きな反響を呼んだ。
昭和36年(1961)ドイツ留学の機会を得たときに、同国ハイデルベルクを訪ね、「渡し場」の楽譜を探し求めたが、カール・レーヴェの作品94-1「Die Überfahrt」に辿り着くことはできなかった。
しかし、帰国後、猪間が依頼したハイデルベルク居住のミーリッシュ老夫妻から新曲楽譜3つ(長い曲と短い曲2つ)、また、同じくハイデルベルク居住で老音楽家のテオドール・ハウスマンから1つの楽譜(長い曲)が届けられた。
猪間驥一は中央大学退職時に告別講演(Farewell address)を行ったが、専門の統計学から離れた演題「中央大学校歌と『惜別の歌』の由来」を敢えて選んだ。このことは、『惜別の歌』の作曲者・藤江英輔が語った経緯が、Webサイト「二木紘三のうた物語」の「惜別の歌(その3)」ページに詳しく紹介されている。「惜別の歌(その1)」ページでは「惜別の歌」(原詩は島崎藤村作「高楼」)の曲が自動演奏される。
なお、「知られざる自由主義経済学者、猪間驥一の一生とその業績をたどった」と著者がいう 次の書籍が、2013年12月に刊行された。
和田みき子著「猪間驥一評伝 日本人口問題研究の知られざるパイオニア」 2013年12月9日 原人舎刊 ISBN 978-4-925169-76-9