新設:2011-01-30
更新:2017-11-01
梅里先生の碑文
徳川光圀
先生は常州水戸の産なり、
其の伯疾み其の仲夭す。
先生夙夜膝下に陪して
戦々兢々たり。其の人と為りや、
物に滞らず事に著せず。
神儒を尊んで神儒を駁し、
仏老を崇めて仏老を排す。
常に賓客を喜び殆んど門に市す。
暇ある毎に書を読む、
必ずしも解するを求めず。
歓べども歓びを歓びとせず、
憂えて憂いを憂いとせず。
月の夕花の朝、酒を酙んで
意に適すれば詩を吟じ情を放にす。
声色飲食其の美なるを好まず、
第宅器物其の奇を要せず、
有れば即ち有るに随って楽胥しみ、
無ければ即ち無きに任せて晏如たり。
蚤くより史を編むに志あり、
然れども書の徴すべきは罕なり、
爰に捜り爰に購い之を求め之を得たり。
微しく遴むに裨官小説を以てし、
実を摭い疑いを闕き、
皇統を世潤し人臣を是非し、
輯めて一家の言を成す、元禄庚午の冬、
累りに骸骨を乞うて致仕す。
初め兄の子を養うて嗣と為し、
遂に之を立てゝ以て封を襲がしむ。
先生の宿志是に於てか足れり。
既にして郷に還り、
即日処を瑞龍山先塋の側に相し、
歴任の衣冠魚帯を瘞め、載ち封じ、
載ち碑し自ら題して
梅里先生の墓と曰う。
先生の霊永く此に在り。
嗚呼骨肉は天命終る所の処に委せ、
水には即ち魚鼈に施し、
山には即ち禽獣に飽かしむ。
何んぞ劉伶の鍤を用んや。
其の銘に曰う、
「月は瑞龍の雲に隠ると雖も、
光は暫く西山の峰に留まる」碑を建て
銘を勒する者は誰ぞ、
源光圀、字は子龍
【出所】
木村岳風編著「第三 皇漢名詩の吟じ方」昭和36年8月発行
【解説】
「梅里先生の碑文」の原文は漢文で、ここに掲げたのは「読み下し文」
梅里(ばいり)は、徳川光圀(徳川家康の孫)の号で、字は子龍(しりょう)
碑文は、水戸黄門・水戸義公・西山公ともいわれる徳川光圀が自ら記したもの
茨城県常陸太田市瑞龍町の水戸徳川家瑞龍山墓所にある
「木部岳圭遺吟集」Disc1の1番目に朗誦が収録されている
参考サイト