近代詩例示
吟詠詩歌 近代詩例示
小諸なる古城のほとり
新設:2010-01-10
更新:2017-11-01

小諸なる古城のほとり
島崎藤村
小諸(こもろ)なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なす蘩蔞(はこべ)は萌(も)えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺
日に溶(と)けて淡雪(あわゆき)流る

あたヽかき光はあれど
野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞(かす)みて
麦の色わづかに青し
旅人の群(むれ)はいくつか
畠中(はたなか)の道を急ぎね

暮れ行けば浅間(あさま)も見えず
歌哀(かな)し佐久の草笛
千曲川(ちくまがわ)いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
(にご)り酒(ざけ)濁れる飲みて
草枕しばし慰む


    小諸(こもろ)なる古城のほとり
    雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
    緑なす蘩蔞(はこべ)は萌(も)えず
    若草も藉(し)くによしなし
    しろがねの衾(ふすま)の岡辺
    日に溶(と)けて淡雪(あわゆき)流る
    
    あたヽかき光はあれど
    野に満つる香(かおり)も知らず
    浅くのみ春は霞(かす)みて
    麦の色わづかに青し
    旅人の群(むれ)はいくつか
    畠中(はたなか)の道を急ぎね
    
    暮れ行けば浅間(あさま)も見えず
    歌哀(かな)し佐久の草笛
    千曲川(ちくまがわ)いざよふ波の
    岸近き宿にのぼりつ
    濁(にご)り酒(ざけ)濁れる飲みて
    草枕しばし慰む
【出所】
落梅集   普及版吟詠教本 俳句・俳文・俳諧紀行文・俳諧歌・近代詩篇 107~109頁
【通釈】
小諸の城址のほとりに一人愁い悲しむ旅人がいる。まだ蘩蔞(はこべ)も色づかず若草も敷くこともかなわない。白い雪で蔽(おお)われた野辺に淡雪が日にとけて流れている。
日光はあたたかいが野辺に漂う香もなく、春浅く霞がたちこめて、麦もわずかに青くなった。旅人の一行は畠中を急いでいる。
日暮れになれば浅間山も見えず、草笛の音が切なく聞こえる。千曲川の岸に近い宿屋で一人濁り酒を飲みながら、旅愁を慰めることよ。
【解説】
島崎藤村は、明治32年(1899年)4月から明治38年(1905年)3月までの6年を、小諸義塾の英語・国語教師として小諸で過ごした。
藤村は、千曲川近くに建つ中棚鉱泉および隣接の「水明楼(小諸義塾塾長・木村熊二の書斎)」を度々訪ねたといわれる。詩文中の「岸近き宿」は中棚鉱泉であり、後に、「中棚荘」となり、新たな温泉が旅人を楽しませてくれる。

下の写真撮影:2008ー06-08
藤村が度々訪ねた「水明楼」(小諸義塾塾長・木村熊三の書斎)
藤村が度々訪ねた「水明楼」
(小諸義塾塾長・木村熊二の書斎)
「水明楼」2階内部

「水明楼」2階内部
水明楼」2階から<「中棚荘」玄関の屋根越しの千曲川
「水明楼」2階から
「中棚荘」玄関の屋根越しの千曲川
小諸懐古園から千曲川上流を望む
小諸懐古園から千曲川上流を望む
小諸懐古園下の千曲川のダム
小諸懐古園下 千曲川の西浦ダム
<小諸懐古園から千曲川下流を望む<
小諸懐古園から千曲川下流を望む
中棚荘下の「戻り橋」から千曲川下流を望む、ダムが造られ藤村時代の流れとは異なる
中棚荘下の「戻り橋」から
千曲川下流(西浦調整池)を望む
中棚荘下の「戻り橋」から千曲川上流を望む、ダムが造られ藤村時代の流れとは異なる
中棚荘下の「戻り橋」から
千曲川上流を望む
藤村小諸時代の中棚鉱泉跡、現中棚荘玄関前(水明楼下)、左の石に「藤村の湯尊碑」とある
藤村小諸時代の中棚鉱泉跡
現中棚荘玄関前(水明楼下)