近代詩例示
吟詠詩歌 近代詩例示
君死にたまふことなかれ
新設:2010-11-30
更新:2017-11-01

君死にたまふことなかれ
(旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)
與謝野晶子
あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたもふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ



    君死にたまふことなかれ
    (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)
    
    あゝおとうとよ、君を泣く
    君死にたもふことなかれ
    末に生れし君なれば
    親のなさけはまさりしも
    親は刃をにぎらせて
    人を殺せとをしへしや
    人を殺して死ねよとて
    二十四までをそだてしや
    
    暖簾のかげに伏して泣く
    あえかにわかき新妻を
    君わするるや、思へるや
    十月も添はでわかれたる
    少女ごころを思ひみよ
    この世ひとりの君ならで
    あゝまた誰をたのむべき
    君死にたまふことなかれ
【出所】
愛吟集 130~131頁
【解説】
詩文は、5連ある詩の第1と第5連(冒頭と末尾)の抜粋です。   撮影:2011ー03-24

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吟者:平木岳栄
与謝野鉄幹・晶子居住跡標石
与謝野鉄幹・晶子居住跡標石
与謝野鉄幹・晶子居住跡の標石と案内板
与謝野鉄幹・晶子居住跡の標石と案内板
与謝野鉄幹・晶子居住跡案内板
与謝野鉄幹・晶子居住跡案内板
与謝野鉄幹 晶子 居住跡  Site of the former Yosano Home
右上写真の立札に記された「与謝野鉄幹 晶子 居住跡」の説明は次のとおり


    与謝野鉄幹 晶子 居住跡

与謝野(よさの)鉄幹(てっかん)(明治6年~昭和10年)京都市生
  詩人・歌人 東京新詩社の創立、『明星』の刊行に尽力、新和歌運動に貢献した。
 作品 「東西南北」「天地玄黄」「相聞(あいぎこえ)」など

与謝野(よさの)(あき)()(明治11年~昭和17年)堺市生
 鉄幹の妻、歌人 新詩社に加わり『明星で』活躍
 作品 「みだれ髪」「春泥集」「舞姫」「新訳源氏物語」など

二人は明治34年に結婚し、大正4年から大正12年の関東大震災まで当地に居住した。
また、二人は、神田駿河台の『文化学院』の創立(大正10年)に貢献し、教鞭をとった。

明治37年『明星』に掲載された晶子の「君死にたもうことなかれ」は、戦地にいる弟((ちゅう)三郎(ざぶろう)
の身を案じた詩としてあまりにも有名である。


    Site of the former Yosano Home

Tekkan Yosano and his wife, Akiko, were famous poets from the Meiji era
into the beginning of the Showa era.
They lived at this location from 1915 to 1927.
Akiko's poet about her brother going off to battle is still widely read.