俳文例示
吟詠詩歌 俳文例示
奥の細道(平泉の一節)
新設:2011-01-20
更新:2017-11-01

奥の細道(平泉の一節)
松尾芭蕉
さても()(しん)すぐって この(しろ)にこもり
(こう)(みょう)(いち)()の (くさ)むらとなる
(くに)(やぶ)れて(さん)()あり (しろ)(はる)にして
(くさ)(あお)みたりと かさ()()きて
(とき)(うつ)るまで (なみだ)()としはべりぬ

 (夏草(なつくさ)や) 夏草(なつくさ)
   (つわもの)どもが (ゆめ)(あと)
      ((つわもの)どもが (ゆめ)(あと)


   
          奥の細道 (平泉の一節)
                        松尾 芭蕉
       さても義臣すぐって この城にこもり
       功名一時の 草むらとなる
       国破れて山河あり 城春にして
       草青みたりと かさ打ち敷きて
       時の移るまで 涙を落としはべりぬ
          夏草や 夏草や
            兵どもが 夢の跡
              兵どもが 夢の跡

【通釈】
それはそうと、あの義経が、義臣をえらびぬいて、この城にたてこもり、その人たちが立てた功名や手柄も、一時のことで今は夢の如く空しい。国破れて、山河はそのままに残り城あとに、春が来ると草が青青と萌え出ている。笠を敷いて腰をおろし、ながい間、涙を落としておりました。

夏草がただ茫茫と生い茂っている。これを見ていると、その昔、栄華にふけり功名を夢みた武士たちの面影がうかんでくる。しかし、今はそのあともなくなってしまったことだ。
【出所】
小・中学生用 吟詠教本 若あゆ70頁
(参考) 吟詠教本 俳句・俳文・俳諧紀行文・俳諧歌・近代詩 篇 68~71頁
参考写真   撮影:2011-09-29
中尊寺境内案内図
中尊寺境内案内図
義経が自刃したといわれる高館は
本案内図右下の駐車場から国道4号を越えた処にある
束稲山・高館
正面に束稲山、右手に高館の一部
高館は芭蕉が訪ねた頃に比べると小さくなり
高館の反対側を流れる北上川の川筋も異なるという
東物見(中尊寺)から衣川方面
東物見(中尊寺境内)から衣川方面を望む
中央高架橋は 架替後のJR東北本線
高架橋やや右上に北上川と平泉バイパス
高架橋下を左右に衣川(堤防が高い)
国道4号平泉バイパス
平泉バイパスを夢館駐車場から望む
バイパスは北上川西側堤防に隣接し
JR東北本線を越えて東北自動車道に接続
衣川と北上川の合流点は見えない
国道4号衣川橋から
かさ上げ、架替えられた国道4号の
衣川橋から衣川上流を望む
左手に中尊寺のある関山丘陵
ツアーバス車窓から撮影
芭蕉翁像並びに奥の細道句
芭蕉翁像並びに奥の細道碑
1989年5月「奥の細道」300年記念建立
右建物は金色堂旧覆堂
「おくの細道」平泉の条句碑
「奥の細道」中ほどの
「平泉の条」が刻まれた句碑
当頁掲載の一節は 更に その中央部分
松尾芭蕉像
芭蕉翁像
右建物は金色堂旧覆堂で 芭蕉訪問時
金色堂は当該覆堂の中にあった
金色堂旧覆堂
金色堂旧覆堂
金色堂旧覆堂案内板
金色堂旧覆堂 案内板
金色堂新覆堂
金色堂新覆堂
芭蕉句碑(五月雨の降り残してや光堂)
芭蕉句碑(五月雨の降り残してや光堂)
延享3年(1746)10月12日
仙台白英門人山目山笑庵連中建碑
中尊寺経蔵
中尊寺経蔵
左写真の芭蕉句碑は
経蔵の左手前にある
中尊寺経蔵案内板
中尊寺経蔵 案内板
日本語、英語、中国語および
韓国語で記されている
参考サイト