俳文例示
吟詠詩歌 俳文例示
銀河の序
新設:2011-04-03
更新:2017-11-01

銀河の序
松尾芭蕉
越後の国 出雲崎といふ 処より、
佐渡が島は 海上十八里とかや。
谷嶺の 険阻くまなく、東西 三十余里
波上に 横折れ伏せて、まだ初秋の 薄霧
立ちもあへず、さすがに 波も高からざれば、
唯 手のとゞく計になむ 見わたさるる。
げにや此島は 黄金 あまた湧き出でて、
世に めでたき島になむ 侍るを、むかし
今に 到りて、大罪朝敵の人々 遠流の境にして、
もの憂き 島の名に 立侍れば、冷じき 心地
せらるるに、
宵の月 入りかかる比、海の面 いと ほの暗く、
山の形 雲透に 見えて、波の音 いとゞかなしく
聞こえ侍る。
 荒海や
   佐渡によこたふ天の河
   佐渡によこたふ天の河


芭蕉園
芭蕉園
新潟県出雲崎町の北国街道沿い

芭蕉像
松尾芭蕉像
おくのほそ道300年記念として1989年7月建立

次の2点を含め、撮影:2011-05-17
銀河の序碑/天河句碑
天河句碑(銀河の序)
銀河の序碑/天河句碑の文
左写真中央の解説板を拡大
【通釈】
越後の国(新潟県)出雲崎という所から、佐渡が島は海上十八里だという。谷や嶺のけわしいところの隅々まで、東西三十余里の島が波上に横たわり伏していて、まだ初秋の薄霧が立つこともできず、(初秋ゆえ)さすがに波も高くないので、ただ手が届くほどの距離に見渡すことができる。

なるほど、この島は金が多量に湧き出して、実にすばらしい島であるが、昔もまた現在に至っても、重い罪を犯した者や朝敵になった人々が、遠く流罪となる地で、物憂い島の名が有名になったので、寂しい心地がされるのだが、宵の空にかかる月も西に沈むころ、海面はたいそうほの暗く、山の形が闇をすかして見え、波の音がいっそう悲しくきこえてくる。

日本海の荒波を隔てて、流人の島佐渡が島が横たわり、天の川がそのうえにかかっている。七夕の夜ゆえ空の二星も年に一度逢うというが、島に流された人々は、どんなにか故郷を思い、あの星を仰ぐことか。
【出所 】
吟詠教本 俳句・俳文・俳諧紀行文・俳諧歌・近代詩編 76~81頁に収載されたもので、『真蹟懐紙』による、最後の発句「荒海や」は『蕉翁文集』には欠けていると説明されている。


   銀河の序
            松尾芭蕉
 越後の国 出雲崎といふ 処より、
 佐渡が島は 海上十八里とかや。
 谷嶺の 険阻くまなく、東西 三十余里
 波上に 横折れ伏せて、まだ初秋の 薄霧
 立ちもあへず、さすがに 波も高からざれば、
 唯 手のとゞく計になむ 見わたさるる。
 げにや此島は 黄金 あまた湧き出でて、
 世に めでたき島になむ 侍るを、むかし
 今に 到りて、大罪朝敵の人々 遠流の境にして、
 もの憂き 島の名に 立侍れば、冷じき 心地
 せらるるに、
 宵の月 入りかかる比、海の面 いと ほの暗く、
 山の形 雲透に 見えて、波の音 いとゞかなしく
 聞こえ侍る。
 荒海や
   佐渡によこたふ天の河
   佐渡によこたふ天の河

最上段左側に掲載の横書「銀河の序」の縦書版)

   銀河の序
            松尾芭蕉
  ゑちごの國出雲崎といふ處より、佐渡が 
 島は海上十八里とかや。谷嶺の嶮岨くまな
 く、東西三十里海上によこおれふせて、
 まだ初秋の薄霧立もあへず、さすがに波も
 たかゝらざれば、唯手のとゞく計になむ見
 わたさるる。げにや此しまはこがねあまた
 わき出て、世にめでたき島になむ侍るを、
 むかし今に至りて、大罪朝敵の人々遠流の
 境にして、物うき島の名に立侍れば、冷じ
 き心ちせらるゝに、宵の月入かゝる比、海
 のおもていとほのくらく、山のかたち雲透
 に見えて、なみの音いとゞかなしく聞え侍
 る。
 (あら海や)
  あら海や佐渡によこたふ天の川
     (佐渡によこたふ天の川)

吟詠教本「和歌・今様・俳句・新体詩編」244~245頁に収載されたもので 『蕉翁文集』によったと説明されている