俳聖・松尾芭蕉に付き添い、「おくの細道」を旅したことで知られる「河井曾良」は、慶安2年(1649)に上諏訪宿で酒造業を営んでいた高野七兵衛の長男として誕生した。曾良は、幼少期を諏訪地区で過ごした後、伊勢国長島(三重県桑名市長島)にある大智院住職であった伯父の元にへ身を寄せ、青年期を過ごしたといわれる。 元禄2年(1689)3月に江戸深川を出発して、陸奥から北陸を旅して5ヶ月経って、山中(石川県加賀市)に到着したころ、曾良は腹の病に罹り、青年期に過ごした大智院で治療するため、芭蕉に先行することとなった。 加賀の全昌寺で、曾良は「よもすがら」を詠んで芭蕉に書置した後、伊勢国長島の大智院に向った。大智院で約2週間、薬を服用して腹を治療後、大垣に向かい芭蕉と再会し、約2400㎞に及ぶ「おくの細道」の旅を終えた。 芭蕉没後の宝永7年(1710)、曾良は諸国巡見使の用人として九州に赴き、唐津領の巡見を経て、肥前国平戸藩内の壱岐島に渡って、風本(長崎県壱岐市勝本町)に滞在中に体調を崩し、5月22日に亡くなった。享年62才。 曾良の墓は、宿舎であった中藤五左衛門家の菩提寺・能満寺にあって、墓標に「賢翁宗臣居士 江戸住人岩波庄右衛門尉塔 宝永庚寅天五月廿二日」と刻まれているとのこと。 曾良の誕生地と終焉地の縁で、平成17年(2005)、諏訪市と壱岐市は姉妹都市となったという。上諏訪が曾良の生誕地ゆえ、諏訪市教育委員会では「河井曾良」と題した小冊子を平成21年(2009)3月に刊行している。 曾良の供養塔、旅姿立像および句碑がある桑原山正願寺(諏訪市岡村1-15-3)は、近代吟詠の祖といわれる木村岳風の生家(岡村1-7-16)と木村岳風記念館に極めて近いところにある。 下の写真は按針亭管理人が撮ったもの