和歌例示
吟詠詩歌 和歌例示
七重八重(山吹)
新設:2010-02-22
更新:2017-11-01
(参考)
道灌(どうかん)(みの)()るの()(だい)
作者(さくしゃ)不詳(ふしょう)
()(あん)(あめ)()いて(ぼう)()(たた)
(しょう)(じょ)(ため)(おく)(はな)(いっ)()
(しょう)(じょ)()わず(はな)(かた)らず
英雄(えいゆう)心緒(しんちょ)(みだ)れて(いと)(ごと)

  
            七重八重
       七重八重
          花は咲けども
               山吹の
       實のひとつだに
            なきぞ悲しき  
        
【通釈】
七重八重に花は咲いているけれど、山吹が実の一つさえもないように、蓑一つさえもないのは悲しいことです。
【出所】
後拾遺和歌集 吟詠教本和歌篇(上巻)80頁
【作者・解説】
和歌「七重八重」は、兼明親王(かねあきら しんのう 914~986年)の作品で
後拾遺和歌集(巻19-1154)に収載されています。

詞書(ことばがき)に、「小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日蓑かる人の侍りければ、山吹の枝を折てとらせて侍りけり。心も得でまかり過ぎて又の日、山吹の心もえざりしよしいひおこせて侍りける返事にいひ遣はしける。」とあります。小倉は、京都市北西部小倉山(標高295m)付近一帯を指します。

なお、後拾遺和歌集は、諸伝本の数が90本に及ぶようで、「七重八重」の第5句「なきぞ悲しき」は「なきぞあやしき」から変化して流布されたきたといわれています。

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吟者:平木岳栄
山吹の里と縁(ゆかり)


豊島区高田1-10-5にある「山吹の里公園」
住宅街にある小公園

面影橋近く(豊島区高田1丁目)にある「山吹之里」碑
「山吹之里」碑

豊島区高田1-10-5所在の「山吹の里公園」内の和歌「山吹」碑
和歌「山吹」歌碑
和歌「七重八重(山吹)」に因む 東京都豊島区高田1丁目 18-1(中央)と10-5(左右) 所在の碑
碑は何れも新宿区および文京区に極めて隣接したところにあります

上の写真のうち中央の碑「山吹之里」に対し、豊島区教育委員会による解説板が碑の左手前に建っています。
その解説を紹介させていただきます。

山吹(やまぶき)の里」の碑
  所在地 高田1-18-1
新宿区山吹(やまぶき)町から西方の甘泉(かんせん)園、面影橋(おもかげばし)の一帯は、通称「山吹の里」といわれています。これは、(おお)()道灌(どうかん)(たか)()りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に(みの)を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事(こじ)にちなんでいます。後日、「(なな)()八重(やえ) 花は咲けども 山吹の みの(蓑)ひとつだに 無きぞ悲しき」(()(しゅう)()集)の古歌に()けたものだと教えられた道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承で、「和漢三才図絵(ずえ)」((しょう)(とく)2・1712年)などの文献から、江戸時代中期の18世紀前半には成立していたようで( )
「山吹の里」の場所については、この地以外にも荒川区町屋、横浜市金沢区六浦(むつうら)、埼玉県(おご)()町などとする説があって定かではありません。ただ、( )田川対岸の新宿区一帯は、昭和63(1988)年の発掘調査で確認された中世遺跡(下戸塚遺跡)や、鎌倉街道の伝承地などが集中しており、中世の交通の(よう)(しょう)()であったことは注目されます。
この碑は、神田川の改修工事が行なわれる以前は、面影橋のたもとにありましたが、碑面をよくみると、「山吹()里」の文字の周辺に細かく文字が刻まれているのを確認でき、この碑が貞享(じょうきょう)3(1686)年に建立された()(よう)(とう)を転用したものであることがわかりま( )
   平成16(2004)年3月
豊島区教育委員会

中山道 長久保宿 浜田屋旅館玄関に
活けられていた山吹
2010-5-14撮影
中山道 和田宿 脇本陣近い上町で
咲き誇る山吹
2010-5-13撮影
佐久市立近代美術館前の山本豊市作「久遠の像」
佐久市立中央図書館前の山本豊市作「久遠の像」
「山吹の和歌にまつわる太田道灌と農家の娘との
出会いを題材にした作品」と説明されていた
偶々 前日来の降雪後に 撮ったもの
撮影:2016-03-10