漢詩例示
吟詠詩歌 漢詩例示
桂林荘雑詠諸生に示す(休道)
新設:2010-01-11
更新:2017-11-01

桂林荘(けいりんそう)雑詠(ざつえい)諸生(しょせい)(しめ)
廣瀬淡窓
()うことを()めよ他郷(たきょう)()(しん)(おお)しと
同袍(どうほう)(とも)()(おの)ずから(あい)(した)しむ
(さい)()(あかつき)()ずれば(しも)(ゆき)(ごと)
(きみ)(せん)(りゅう)()(われ)(たきぎ)(ひろ)わん

桂林莊雑詠示諸生 休道他鄕多苦辛 同袍有友自相親 柴扉曉出霜如雪 君汲川流我拾薪
【通釈】
他郷での勉学には、苦しいこと、つらいことが多いと言うのはやめなさい。そこには一つのどてらをともに着るような、苦労を分かち合う仲間がいて自然と仲良くなるのだから。塾舎の柴の折戸を開けて外に出てみると、霜は雪のように白く降りている。さあ、君は川に行って水を汲むのだ。ぼくは山でたきぎを拾ってこよう。
【出所】
普及版吟詠教本 漢詩篇(一)22頁
【作者】
廣瀬淡窓(1782~1856年)は、豊後国日田(現在の大分県日田市)の廣瀬宗家第五世三郎右衛門桃秋の長男として生まれた。幼児より学問を好み、身体が弱かったので家業を弟久兵衛に譲り、学問で身を立てることにし、26才で私塾(桂林荘、後に咸宜園)を開いた。生涯を子弟教育に尽くし、高名を慕って集まった門下生は50年で三千余人、没後を合わせると咸宜園出身者は90年で全国68ヶ国中66ヶ国から4600余人であったという。淡窓は号で、名は若いときは簡といい、後に建と改めた。
桂林荘公園と歴史の小径
桂林荘公園と歴史の小径
桂林荘の案内板
桂林荘の案内板
漢詩「休道」詩碑(桂林荘公園内)
漢詩「休道」詩碑(桂林荘公園内)
【桂林荘雑詠示諸生4首】
「休道」の漢詩は、「桂林荘」時代の「桂林荘雑詠示諸生」と題した4首のうちで最も世に知られたもの。桂林荘公園に4首を刻した碑がある。
しかし、2009年5月12日の訪問時は、碑全面が著しく汚れ、写真掲載が憚れるので「休道」の外の3首を下に記す。
幾人負笈自西東
兩筑雙肥前後豊
花影滿簾春書永
書聲斷續響房櫳

遙思白髪倚門情
宦學三年業未成
一夜秋風搖老樹
孤窓欹枕客心驚

長鋏歸來故國春
時時務拂簡編塵
君看白首無名者
曾是談經奪席人

参考写真
撮影:2009-05-12
広瀬淡窓先生遺跡の碑、左奥に「休道」詩碑
広瀬淡窓先生遺跡の碑
左奥に「休道」詩碑
淡窓直筆「休道」色紙(複写)、廣瀬資料館にて購入
淡窓直筆「休道」色紙(印刷)
廣瀬資料館にて購入
「桂林荘あと」の碑
「桂林荘あと」の碑
淡窓石像(桂林荘公園内)
淡窓石像(桂林荘公園内)
淡窓石像と台座
淡窓石像と台座

淡窓石像の説明
淡窓石像の説明
淡窓生家内部
淡窓生家内部
淡窓生家・廣瀬資料館入口
淡窓生家・廣瀬資料館入口
廣瀬資料館外部
廣瀬資料館外観
史蹟 咸宜園(かんぎえん)阯(大分県日田市)
史蹟 咸宜園阯(大分県日田市)
秋風庵 (咸宜園内)
秋風庵(咸宜園内)
秋風庵内部 (咸宜園内)
秋風庵内部(咸宜園内)
史蹟 咸宜園跡 門
史蹟咸宜園跡 門
遠思楼(咸宜園内)
遠思楼(咸宜園内)
遠思楼の説明
左「遠思楼」右の由来を拡大
咸宜園東塾絵図
咸宜園東塾絵図(右端由来と一体)
咸宜園西塾絵図
咸宜園西塾絵図(右端由来と一体)
史跡咸宜園跡の説明
史跡咸宜園跡由来(門左の道路側)