小林一茶 生誕250年 生誕地柏原の一茶句碑 など
新設:2013-06-10
更新:2020-11-02
撮影:2013-05-13
小林一茶の誕生日は宝暦13年5月5日、 現在使われている太陽暦では1763年6月15日に当るとされ、2013年は一茶生誕250年となるので、一茶の故郷・柏原(長野県信濃町)では記念事業が行われた。
一茶生誕250年に因み、NHKはラジオ第2放送で『「あるがまま」の俳人一茶』を2013年4~6月に放送し、(公社)日本詩吟学院は第1回「全国俳諧歌吟詠大会」を2013年7月2日に諏訪で開催する外、教本「俳諧歌撰」 を2013年3月に刊行した。
信濃町にある一茶の句碑は、昭和50年(1975)以前は4つだけであったが、平成24年(2012)6月 一茶記念館刊『一茶』17版によると、同書発行時点で116あるとされている。
2013年5月13日(月)午後の数時間、本サイト「按針亭」管理人は一茶の生誕地・柏原界隈にある一茶句碑など 一茶ゆかりの処を 駆け足のような慌ただしさで訪ねた。その折に、撮った写真を添えて30余りの句碑など紹介し、併せて後段に、同5月13日(月)午前に訪ねた長野善光寺地区の一茶句碑数基を紹介する。
句碑の俳句(作品・作句年・出典)、建立年、筆者、設置場所、句碑整理番号などは、一茶記念館刊『一茶』17版)に準拠し、一部は信濃毎日新聞社刊『一茶全集』で補充し*印を付けた。
2013年5月の柏原地区訪問と本ページ作成に当り、一茶記念館、信濃町観光協会、信州・長野県観光協会から関連資料・情報の提供を受けたことに感謝し、御礼申し上げます。
一茶ゆかりの処
一茶像(一茶記念館玄関)
一茶像(一茶俤堂・俳諧寺)
一茶像(小丸山公園)
一茶記念館(小丸山公園)
一茶俤堂・俳諧寺(小丸山公園)
一茶一族の墓(小丸山公園)
左:一茶位牌堂 右:一茶旧宅(復元)
一茶胞衣塚(一茶実母実家跡)
一茶の実母(くに)実家跡
生誕地・柏原(長野県上水内郡信濃町)の一茶句碑 (句碑は建立順に掲載)
001
松蔭に
寝て喰ふ六十餘州かな
柏原 諏訪神社境内
文政12年(1829)建立
筆者は大塚庚作
文化9年 50才 七番日記
最初の一茶句碑
<句碑「解説板」掲載文>
諏訪神社と一茶句碑
柏原の鎮守の森、諏訪神社は、寛永11年(1634年)ころには創建されていました。祭礼のときには、歌舞伎や相撲が催され、近在の人々でにぎわい、一茶も見物に訪れました。
この一茶句碑は、文政12年(1829年)一茶3回忌に、弟弥兵衛や門人等によって柏原宿の入口に建立された最初のものです。その後、明治10年(1877年)に、現在地に移転されました。
俳句は、「七番日記」文化9年(1812年)の作で、碑文は、柏原村などを支配していた中野代官所手付大塚庚作によって、書かれています。
松蔭に寝てくふ六十よ州かな
002
ともかくも
あなたまかせの年の暮
柏原仁之倉 一茶母の家跡
大正12年(1923)建立
筆者は大谷句仏
文政2年 57才 おらが春
<碑陰>
大正拾貳年七月建之
有志者一同
003
是がまあ
つひの栖か雪五尺
柏原 小丸山公園
昭和26年(1951)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文化9年 50才 七番日記
背景中央奥に 一茶俤堂(俳諧寺)
<句碑「解説板」掲載文>
小林一茶句碑
是がまあつひの栖か雪五尺
少年のころ独り江戸に出た一茶は35年間の放浪生活に終止符をうち故郷に定住する決意をして 雪の柏原に帰ってきた
時に文化9年11月24日 一茶50歳
この句は 一茶が帰郷の第一印象をうたったもので 一茶の眞蹟を拡大して刻んだものである
昭和26年9月19日
一茶125年祭記念建之
俳諧寺一茶保存会
005
門の木も
先つゝがなし夕涼
柏原 史跡小林一茶旧宅
昭和51年(1976)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
寛政3年 29才 寛政三年紀行
<句碑「解説板」掲載文>
一茶句碑
門の木も先つゝがなし夕涼
「寛政三年紀行」真蹟拡大
15歳で江戸に出た一茶は、1791(寛政3)年、俳諧師となって14ぶりに帰郷しました。
この句は そのときの感慨をよんだものです。
一茶150回忌を記念して、村松康雄氏(長野市)のご協力により、句碑が建てられました。
信濃町教育委員会
006
雪とけて
村一ぱいの子ども哉
柏原 旧柏原小学校跡(門柱前)
昭和53年(1978)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文化11年 52才 七番日記
<碑陰>
昭和五十三年十月二十四日
柏原小学校改築記念
実行委員会
この句碑が建つ場所の標高は676m
007
我と来て
遊べや親のない雀
柏原 明専寺境内
昭和53年(1978)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文政2年 57才 おらが春
<句碑「解説板」掲載文>
明専寺と一茶
明専寺(みょうせんじ)は、浄土真宗本願寺派に属し、終北山といい、延宝元年(1673年)、現在地に移りました。一茶は親鸞聖人に深く帰依し、父親とともに熱心な門徒でした。
明専寺は、一茶と弟との財産争いの仲裁をするなど、一茶にとって縁の深いお寺です。明専寺でのできごとは、句文集「おらが春」などに見ることができます。
毎年11月19日の命日には一茶忌法要がいとなまれ、一茶をしのんで一茶忌全国俳句大会が行われます。
句碑は、「おらが春」文政2年(1819年)の作です。
我と来て遊べや親のない雀
008
蟻の道
雲の峰よりつゞきけん
The ant's path ~ Does it not treach
To yonder cloudy peak ?
(C.W.ニコル訳)
柏原 JR黒姫駅前
昭和58年(1983)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文政2年 57才 おらが春
<句碑「解説板」掲載文>
一茶の句碑
蟻の道雲の峰よりつづきけん 一茶
(一茶57才 文政2年作句)
蟻の道はどこまで、続いている。
あの夏雲の峰までも続いている。
そんな童心の一茶、驚きの句である。
一茶俳句の名句の一句とされている。
―――――――――――――――――――――
ARINOMICHI
The ant's path ~
Does it not treach
To yonder Cloudy peak ?
011
庭の蝶
子が這へばとびはへばとぶ
柏原 黒姫物産センター前
昭和59年(1984)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
年次不詳 真蹟
<句碑「解説板」掲載文>
庭の蝶子が這へばとびはへばとぶ 一茶
文政年間の作 眞蹟模写
「庭の蝶」という五字を「門の蝶」としたものもある。50才を過ぎた晩婚の一茶が、初めて子をもった喜びが感じられる句である。
清水 哲
012
目出度さも
ちう位也おらが春
柏原仁之倉 仁之倉神社境内
昭和59年(1984)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文政2年 57才 おらが春
仁之倉神社全景 左端に一茶句碑
016
ゆうぜんとして山を見る蛙哉
Just sitting there,
a frog viewing the mountain
(C.W.ニコル訳)
柏原 八十二銀行信濃町支店前
昭和63年(1988)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文化10年 51才 七番日記
(後方の車がなければ)
018
日本の
外ヶ浜迄おち穂かな
柏原 信濃町役場前
昭和63年(1988)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文化15年(文政元年) 56才
七番日記
<句碑「解説板」掲載文>
豊秋
日本の外ヶ濱迄おち穂かな 一茶
文政15年 一茶56才
七番日記所載の一茶真蹟を拡大し彫ったものである
句の意味は 日本中が豊作で ありがたいという祝句
021
やれうつな
蝿が手をすり足をする
柏原 JR黒姫駅構内
2~3番線ホーム
昭和63年(1988)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文政4年 59才 梅塵八番
<碑陰>
駅百周年記念
昭和六十三年八月建之
信濃町碑の会
022
原村の桜は
小百年前カンテイといふ僧植へけるとかや。
此僧莧に胡椒をかけて死きとなん。其塚
山桜花の主や石仏
平岡原 閑貞桜
昭和63年(1988)建立
筆者は原山初雄
文化11年 52才 七番日記
句碑左の閑貞桜(枯死)右奥に閑貞坊墓
025
陽炎や
きのふは見へぬだんご茶屋
柏原 若月敬夫宅
昭和63年(1988)建立
筆者は清水哲
文化6年 47才 文化5-6年句日記
句碑左に唱歌「村の鍛冶屋」詩碑
027
雀の子
そこのけ/\御馬が通る
柏原(一茶通り) 黒田花枝宅
平成1年(1989)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文政2年 57才 おらが春
暮れ行く妙高山(一茶通りから)
028
そよげそよげ
そよげわか竹今のうち
古間 信濃小中学校校庭
平成1年(1989)建立
筆者は長峰里治
文化7年 48才 文化3-8年句日記写
句碑は校門の外から撮影
037
はつ蝶の
夫婦連して来たりけり
柏原 信濃町総合会館前
平成2年(1990)建立
筆者は中村康男
文化13年 54才 七番日記
<碑陰>
平成2年9月吉日建立
信濃町碑の会
038
初夢に
古郷を見て涙かな
柏原 小丸山公園俳諧寺前
平成2年(1990)建立
筆者は清水哲
寛政6年 32才 寛政句帖
<台座銘板>
一茶展開催記念句碑
彫刻480余名参加
会場 ながの東急
平成2年10月26日~31日
同年11月19日建之
碑は、俳諧寺左前方、一茶像の傍に建っている
039
こがらしや
隣と云うもゑちご山
柏原 JR黒姫駅西口
平成2年(1990)建立
筆者は清水哲
文政2年 57才 八番日記
<碑陰>
平成二年十一月建之
信濃町
049
み仏や
寝てござっても花と銭
柏原仁之倉 宮嶋裕文宅
平成4年(1992)建立
筆者は清水哲
文政2年 57才 八番日記
<碑陰>
平成四年四月吉日
建之
宮嶋裕文
清水哲書
053
涼風の
淨土即我が家哉
柏原仁之倉 清水美代子宅
平成5年(1993)建立
筆者は清水哲
文政4年 59才 八番日記
一茶忌や一期一会の蕎麦すする(哲)
059
涼風の
曲りくねって来たりけり
柏原 信越病院前
平成5年(1993)建立
筆者は清水哲
文化12年 53才 七番日記
一茶像・句碑「初夢」・一茶俤堂
066
名月を
とってくれろとなく子哉
柏原(一茶通り) 外谷場王弼宅
平成5年(1993)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文政2年 57才 おらが春
童謡「一茶さん」詩碑(小丸山公園)
067
はつ雪や
いろはにほへとならふ声
柏原 旧柏原小学校跡(校舎前)
平成6年(1994)建立
筆者は徳永桂子
文化15年(文政元年) 56才
七番日記
<碑陰>
平成5年度卒業生
すずらん組・やまゆり組一同
071
蛙たゝかひ見にまかる四月廿日也けり
やせ蛙
まけるな一茶これにあり
(切手の碑)
柏原 信濃町郵便局前
ふるさと切手発行記念として
平成7年(1995)建立
筆者は斎藤俊雄
文化13年 54才 七番日記
一茶旧宅跡の扉
088
うまさふな
雪やふふはり/\と
柏原 信濃町交番前
平成9年(1997)建立
筆者は一茶(真蹟拡大
随斎筆紀*
碑陰>
信濃町交番建設記念
有志一同建立
1997年11月吉日
105
門賀
福来たる
門や野山の笑い顔
柏原(一茶通り) 吉川栄子宅
平成12年(2000)建立
筆者は清水哲
文政7年 62才 文政句帖*
仁之倉バス停「お宮前」南方から妙高山
112
九輪草
四五りん草で仕廻けり
柏原 一茶記念館前
平成15年(2003)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文政2年 57才 おらが春
背景の山は 黒姫山
<句碑「解説板」掲載文>
「おらが春」真蹟拡大
おのれ住る鄕ハ、おく信濃 黒姫山のだらだら下りの小隅なれバ、雪ハ夏きへて、霜ハ秋降る物から、橘のからたちとなるのミならで、万木千草、上々国よりうつし植るに、ことごとく変じざるハなかりけり。
九 ( く ) 輪 ( りん ) 草 ( そう ) 四五りん草で仕 ( し ) 廻 ( まい ) けり 一茶
115
花の木の
もって生まれた果報哉
柏原 信濃町商工会前
平成17年(2005)建立
筆者は一茶(真蹟拡大
文政5年 60才
一茶発句集(文政版)*
<碑陰>
信濃町商工会
創立四十五周年記念
平成十七年十月二日建立
長野善光寺周辺(長野市)の一茶句碑 (句碑は建立順に掲載)
119
刈萱堂
花の世ハ
仏の身さへおや子哉
北石堂町 西光寺山門脇
昭和12年(1937)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文化15年(文政元年) 56才 七番日記
<句碑「解説板」掲載文>
一茶の句碑
一茶当地に来りて詠みたる句なり
刈萱堂 一茶
「花の世は 佛の身さえ 親子哉」
124
初ゆきや
雪駄ならして善光寺
(道標)
南長野 こおむら前
平成3年(1991)建立
筆者は横田文子
文政4年 59才 八番日記
JR長野駅(善光寺口)から
前に延びる道路を進み
善光寺表参道(中央通り)の
信号を渡った歩道に建っている
126
善光寺へ
行て来た顔や雀の子
(道標)
南長野 こばやし前
平成3年(1991)建立
筆者は横田文子
文化13年 54才 七番日記
JR長野駅(善光寺口)から
前に延びる道路を進み
善光寺表参道(中央通り)の
信号を渡る手前の歩道に建っている
127
花の世は仏の身さへおや子哉
蝶とぶやしんらん松も知った顔
花さくや伊達にくはへし殻ぎせる
西長野 往生寺境内
平成5年(1993)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文化15年(文政元年) 56才
七番日記、書簡、七番日記
<句碑「解説板」掲載文>
かるかや堂
はなの世は 仏の身さへ おや子哉
善光寺御堂
蝶とぶや しんらん松も 知った顔
はなさくや 伊達にくはへし 売きせる
一茶
135
春風や牛に引かれて善光寺
開帳に逢ふや雀も親子連
元善町 善光寺東公園
平成10年(1998)建立
筆者は一茶(真蹟拡大)
文化8年 49才 七番日記
文化15年(文政元年) 56才 七番日記
<句碑「解説板」掲載文>
小林一茶句碑
春風や牛に 引かれて善光寺
開帳に逢ふや 雀も親子連
小林一茶(1763~1827年)は、長野県信濃町柏原の生まれで、庶民に親しまれる数多くの俳句を作りました。この二句は一茶が善光寺奉納句として書いたものです。
MONUMENT TO THE HAIKU-POEMS OF
ISSA.
Inscribed on this monument are poems written by the famous haiku poet Kobayashi Issa.
The spring breeze drew me here. As a old woman once chased after an ox to Zenkoji.
Sparrows, too, have come to see the Go-Kaicho together with their chick.
Issa's poems are beloved by the Japanese. Issa, born in Nagano in 1763,
dedicated these two haiku-poems to Zenkoji.
144
藤棚や
引釣るしたる馬の沓
大門町上 西澤書店前
平成14年(2002)建立
筆者は鷹司誓玉
文化12年 53才 七番日記*
「善光寺大門前に乞食ゐざりが
手筋みるとて人々こぞりけ」の前書あり
善光寺仁王門から
長野駅方向に向かって
左側の歩道を進むと目に止まる
碑の反対側に
「善光寺表参道大門町」が刻され
景観に関する受賞を伝える銘板がある
参考サイト