近代詩例示
吟詠詩歌 近代詩例示
千曲川旅情の歌
新設:2010-01-10
更新:2017-11-01

千曲川旅情の歌
島崎藤村
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る

嗚呼(ああ)古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
(いに)し世(よ)を静かに思へ
百年(ももとせ)もきのふのごとし

千曲川柳(やなぎ)(かす)みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれい)を繋(つな)

昨日またかくてありけり
    今日もまたかくてありなむ
    この命なにを齷齪(あくせく)
    明日をのみ思ひわづらふ
   
    いくたびか栄枯の夢の
    消え残る谷に下りて
    河波のいざよふ見れば
    砂まじり水巻き帰る
    
    嗚呼(ああ)古城なにをか語り
    岸の波なにをか答ふ
    過(いに)し世(よ)を静かに思へ
    百年(ももとせ)もきのふのごとし
    
    千曲川柳(やなぎ)霞(かす)みて
    春浅く水流れたり
    たゞひとり岩をめぐりて
    この岸に愁(うれい)を繋(つな)ぐ
【出所】
落梅集   普及版吟詠教本 俳句・俳文・俳諧紀行文・俳諧歌・近代詩篇 110~113頁
【通釈】
昨日もこのように何ごともなく過ぎてしまった。そして今日もまたおなじように過ぎてゆくことであろう。どうしてこの命をあくせくして生き、明日のことばかり思い煩うのであろうか。何度も繰り返されてきた栄枯盛衰の歴史のよすを残す千曲川の谷に下りて、河波のだだようさまを見れば、砂まじりの水が激しく巻き戻されている。この小諸城は何を語り、この岸の河波は何を答えようとしているのか。過去の時代を静かにふり返れば、百年という歳月もまるで昨日のように思える。千曲川の岸辺の柳も霞んで、春先の水が流れている。ただ一人岩をめぐりて、この千曲川の岸辺に旅愁をつなぎ止めようとしている。
【解説】
島崎藤村は、明治32年(1899年)4月から明治38年(1905年)3月までの6年を、小諸義塾の英語・国語教師として小諸で過ごした。
藤村は、千曲川近くに建つ中棚鉱泉および隣接の「水明楼(小諸義塾塾長・木村熊二の書斎)」を度々訪ねたといわれる。後に、中棚鉱泉は「中棚荘」となり、新たな温泉が旅人を楽しませてくれる。

下の写真撮影:2008ー06-08

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吟じ方は、普及版吟詠教本の吟符どおりではありません
吟者:新嶋岳秀
藤村が度々訪ねた「水明楼」(小諸義塾塾長・木村熊三の書斎)
藤村が度々訪ねた「水明楼」
(小諸義塾塾長・木村熊二の書斎)
「水明楼」2階内部

「水明楼」2階内部
水明楼」2階から<「中棚荘」玄関の屋根越しの千曲川
「水明楼」2階から
「中棚荘」玄関の屋根越しの千曲川
小諸懐古園から千曲川上流を望む
小諸懐古園から千曲川上流を望む
小諸懐古園下の千曲川のダム
小諸懐古園下 千曲川の西浦ダム
<小諸懐古園から千曲川下流を望む<
小諸懐古園から千曲川下流を望む
中棚荘下の「戻り橋」から千曲川下流を望む、ダムが造られ藤村時代の流れとは異なる
中棚荘下の「戻り橋」から
千曲川下流(西浦調整池)を望む
中棚荘下の「戻り橋」から千曲川上流を望む、ダムが造られ藤村時代の流れとは異なる
中棚荘下の「戻り橋」から
千曲川上流を望む
藤村小諸時代の中棚鉱泉跡、現中棚荘玄関前(水明楼下)、左の石に「藤村の湯尊碑」とある
藤村小諸時代の中棚鉱泉跡
現中棚荘玄関前(水明楼下)