近代詩例示
吟詠詩歌 近代詩例示
草軽電鉄・湯の平温泉(松泉閣)
新設:2005-01-01
更新:2017-11-01
廃線が間近に迫った「草軽電鉄」に乗るため 1960年3月11日 早川秀郎君と訪ねた時の写真とメモから
新軽井沢駅前
新軽井沢駅前
新軽井沢駅1
新軽井沢駅1
新軽井沢駅2
新軽井沢駅2




新軽井沢~嬬恋
10:35~13:00
運賃 150円


<参考>
赤羽(東京)
  ~軽井沢
6:06~10:18

小瀬温泉駅
小瀬温泉駅


小瀬温泉駅

新軽井沢駅から我々と一緒に来た1カップルが
この駅で新軽井沢へと引き返していった

このカップルは 国木田独歩のいうような
「忘れ得ぬ人々」のうちに入るのかも知れない
感じの良い二人だった
国境平駅
国境平駅


国境平駅

この辺りは 不毛の地の観を呈していた

地図を見て想像していた姿と
こうやって目の前に見る光景は大変違っていた

近年、雪は少なくなって
今年などは 最も積ったときで
40㎝位だったそうである

北軽井沢駅
北軽井沢駅


北軽井沢駅

ここからは

バス道路がこの草軽電鉄とほぼ並行して
走っているそうである

やがて 線路が除かれる日が来るのだ
嬬恋駅
嬬恋駅


嬬恋駅


硫黄を積んだ貨車が印象的であった
嬬恋~上州三原の廃線跡
嬬恋~上州三原の廃線跡


嬬恋~上州三原の廃線跡


嬬恋~上州三原間はレールが除かれていた
流失した草軽電鉄の橋脚
流失した草軽電鉄の橋脚

嬬恋~上州三原間の橋脚

草軽電鉄が通っていた橋は
前年(1959年)の台風7号のため
橋脚の跡をわずかに留めるほどに破壊されていた
水よりも山崩れが大きく原因しているそうである

台風7号は1959年8月14日
静岡県富士川河口付近に上陸
新潟県上越市付近から日本海に抜けた
中心付近の風が非常に強く
台風6号による大雨の直後と重なったため
山梨県や長野県の被害は甚大であった
上州三原から草津への車窓から
上州三原から草津への車窓から


上州三原~草津

15:21~16:25
運賃 80円

上州三原から草津への車窓から

やがて 雨がしょぼしょぼ降ってきた
ハンセン病施設の楽泉園前のバス停
ハンセン病施設の楽泉園前のバス停

草軽電鉄草津駅で降りて 湯の平温泉まで歩き出した
途中の路は雪融けのため すごく悪かった

ハンセン病施設の楽泉園まで来たときは
既に 暗くなりかけていた
霧が発生してきて視界がきかなくなりつつあったが
まだ 白根山を 見ることができた

もし 晴れた日に私達と反対のコースをとったら
その眺めは きっと誰にでも満足の行くものと思う

私達の背後の谷からは 盛んに湯煙が立ち上っていた
また 野反湖も望むことができた
湯の平温泉「松泉閣」の娘さんと早川君
湯の平温泉「松泉閣」の娘さんと早川君


前夕 ジープに乗せて貰って
この湯の平温泉「松泉閣」を訪ねたときの感動は
もしかしたら
一生脳裏にのこることになるかもしれない

濃い霧を透しての谷底に横わる
赤い屋根はロマンティックであった

早川秀郎君は 松泉閣の娘と並んでご機嫌であった
湯の平温泉「松泉閣」の裏山から<br>暮坂峠への近道を行く早川君
湯の平温泉「松泉閣」の裏山を行く早川君



湯の平温泉・松泉閣の裏山から
暮坂峠への近道を行く早川秀郎君
濁流を前にした湯の平温泉露天風呂(1961-10-28)
濁流を前にした湯の平温泉露天風呂
翌年1961年10月28日
天候の特異日で11月3日より
晴天に恵まれるといわれた日に
40名ほどの団体幹事として
湯の平温泉(松泉閣)を再度訪ねた

しかし よりによって大雨となり
しかも 山の中の一軒宿のため
多くの仲間に迷惑をかけてしまった
ただし 紅葉は見事だった
そのときのアルバムから3枚の写真を掲載

濁流を前にした湯の平温泉(松泉閣)露天風呂
撮影:1961-10-28
濁流に飲み込まれそうな湯の平温泉前の吊り橋と若き日の按針亭管理人(1961-10-28)
濁流に飲み込まれそうな湯の平温泉前の吊り橋


濁流に飲み込まれそうな
湯の平温泉前の吊り橋と

若き日の按針亭管理人

撮影:1961-10-28
豪雨の「湯の平温泉(松泉閣)」で一夜を過ごした仲間(1961-10-29)
バス停「湯の平温泉」にて


豪雨の「湯の平温泉(松泉閣)」で

一夜を過ごした仲間

撮影:1961-10-29