俳句例示
吟詠詩歌 俳句例示
をととひの
新設:2013-07-16
更新:2017-11-01

をととひの
正岡子規(しき)
 をととひの

   糸瓜(へちま)の水も 取らざりき

   糸瓜の水も 取らざりき



         をととひの
                   子規  
       をととひの
           糸瓜の水も
               取らざりき
           糸瓜の水も
               取らざりき
       

【通釈】
おとといは十五夜、茎を切って糸瓜の水を採るべきひだったが、それも忘れてとらなかったことよ。
子規絶筆三句のうち第三句
【出所】
吟詠教本 俳句・俳文・俳諧紀行文・俳諧歌・近代詩 篇 39頁
正岡子規絶筆三句碑と子規庵
正岡子規絶筆三句碑は、東京都台東区根岸の子規庵(東京都指定史跡 正岡子規旧居)の庭に建っている
撮影:2013-07-09
【正岡子規絶筆三句碑文】

  をとゝひの へちまの水も 取らざりき
  糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな
  痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず

子規門弟、河東碧梧桐の「君が絶筆」によれば、明治三十五年九月十八日、朝から容体の思わしくなかった子規は、妹の律と碧梧桐に助けられながら、かろうじて筆を持つと、画板に貼った唐紙の先ず中央に「糸瓜咲て」と書きつける。ここで碧梧桐が墨をついでやると「痰のつまりし」と書いた。また墨をついでやると、「佛かな」書き終え、投げるように筆を捨てながら続けざまに咳をするが、痰が切れずにいかにも苦しそうであった。
ようやく痰が切れると「痰一斗」の句を書き、また咳をする。
さらに間を置いて「をとゝひの」の句を少し斜めに書き、筆をやはり投げ捨てた。筆は穂先のほうから白い寝床の上に落ちて、少しばかり墨のあとをつけた。この間、子規は終始無言であった。――とある。

子規はこの日のうちに昏睡状態となり、翌十九日午前一時頃永遠の眠りについた。享年三十四歳十一ヶ月であった。
財団法人 子規庵保存会
【子規庵】

子規没後、母堂、妹が引き続き子規庵に住み、句会・歌会の世話をした。

大正12年(1923)の関東大震災で、やや傾いたものの無事であった。大正14年(1925)土地家屋とも前田家から買取り、子規の母堂・妹の要望を入れて大正15年(1926)に修理改築

昭和2年(1927)母堂没、寒川鼠骨の提案で土蔵(子規文庫)を建設
昭和3年(1928)7月、子規庵保存会が財団法人として認可される。

昭和20年(1945)4月、空襲で子規庵が焼失したが、幸い「土蔵」は焼失を免れ、貴重な子規ゆかりの品々が残った。
昭和26年(1951)、子規庵を焼失前の間取りで復元し、昭和27年(1952)に東京都文化史蹟に指定された。

子規庵の庭の隅に、子規庵保存に尽力した寒川鼠骨の句碑「三段に 雲南北す 今朝の秋」が建っている。

正岡子規絶筆三句碑

左の「正岡子規絶筆三句碑」は、子規没後百年を記念して、平成13年(2001)9月19日に財団法人子規庵保存会によって建立された。
碑文は後段に掲げる。

碑上部に「絶筆三句」が書かれた唐紙の現物と同じ大きさで、子規の筆跡と墨の濃淡を再現して鋳られた右写真の銅板が埋め込まれている。

「絶筆三句」現物は、国立国会図書館へ寄贈されたという。
「正岡子規絶筆三句碑」上部に埋め込まれた銅板
左写真「正岡子規絶筆三句碑」上部に埋め込まれた銅板
正岡子規終焉の部屋
右の糸瓜(へちま)棚がある部屋が
子規終焉の部屋、右端に絶筆三句碑
子規庵の道路に面した外観
子規庵の道路に面した外観